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ソニー展で考える天才の後継

遅ればせながら『It's sony展』へ行ってきた。

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まもなく解体されるソニービルの多くのフロアを使って、過去にソニーが送り出した多数の製品が展示されていた。テープレコーダー、ハンディカム、ウォークマン、トリニトロン、VAIO、プレイステーション、こうやって全てを一堂に眺めると日本と日本人の生活にソニーが果たした役割の大きさがよくわかる。ソニーという会社が存在しなかったら、日本人はもっと野暮ったく、生活に潤いを持てなかっただろう。ソニー製品は、無くても暮らせるが、一度体験すると無くては困るものばかりだ。CDに慣れたらカセットテープに戻れなくなる。iPod、iPhoneを生み出したAppleと同じで、初期のジョブズがソニーを目指したのがよく理解できる。

「無くては困らないが、使うと無くては困るもの」を開発するには、顧客の要望を聞いているだけでは完成しない。顧客は自分が使って感じた製品の不満から要望を思いつく。自分が触っていない製品を想像し具現化することはしないし、そんなに暇じゃない。そこそこ満足している製品があれば、それでよい。みんな日々の暮らしがあるのだ。

ジョブズの言葉「人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいかわからない」はまさに至言だ。

既存の枠から外れた革命的なものを考えられるのはごくわずかな特殊な能力と経験をした人だけだ。いわゆる変人という奴で、行動する変人は何万人に1人しか出てこない。世の中そんな人ばかりでも困ってしまう。

ジョブズと、創業者が遺した技術力の後を継ぎソニーを芸術までに昇華させた大賀社長は、他の人にないアイディアで製品を世に出していった(大賀社長の凄さについてはまた別途)。彼らに共通するのは、真の理系ではなかったことだ。理系的な理詰めで考えていては既存の枠から大きく外れた考えはできてこない。演繹法ではなく、帰納法それも要素がなければ自分で作り上げる超帰納法と呼ぶべき卓越した考えが必要だ。

 

彼らが世を去ってから、iPhoneやウォークマンに匹敵する製品は両社からでてきていない。洗練されたデザイン、最新の技術で過去の製品を進化させたものはその後も開発されているし、社会に受け入れられているが、過去を超えたかというと疑問符がつく。iPhoneとiPhone 7、性能や便利なのは圧倒的にiPhone 7だが、どちらが世界を変えたかと問えば答えるまでもないだろう。

 

どうやって、天才(わかりやすくそう言ってしまうが)を生み出せるのか、また集団で天才を超えられるのか、多くの素晴らしい製品を創り出してきたApple、ソニーの両社もその答えをまだ見つけられていない。