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安倍元首相狙撃事件の背後にあるネットの憎悪 。権力は悪なのか?

卑劣な犯罪

安倍元首相が殺害される事件が起きました。いうまでもなく、卑劣な犯罪です。安倍元首相のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

本ブログは政治的なことではなく、IT系の記事が多いですが、本事件はネットに関係することについて言及したいと思います。できる限り思想について触れずに、筆者が考える今回の事件が起きた原因、今後防ぐ方法を記したいと思います。

異様な事件

日本で要人が銃で撃たれて殺害されたというのは異例です。

さらに、この事件が異様なのは、狙撃されたのが政府の現役の要人ではなく、元総理であるという点です。狙撃犯が現在の政治に不満があり、変えようとするなら、現役の権力者を狙うものです。アメリカのケネディ大統領殺害事件、レーガン大統領暗殺未遂事件がそれに該当します。

日本でも、戦前には原敬、濱口雄幸と現役の総理が狙われています。総理大臣経験者としては、高橋是清が2・26事件で殺害されていますが、当時の高橋是清は現役の大蔵大臣で内閣に属していましたし、2・26事件は個人を狙ったものではなく、政府全体の転覆を狙ったクーデター未遂事件です。

過去の同様な事件を見ても、無役の総理大臣経験者が殺害されたのは、極めて異様な事件です。

犯人はどうしてデマを信じたのか

今日(2022/07/09)現在、犯人の犯行動機は不確かです。報道によると、犯人の母親が宗教団体に寄付したために家庭が崩壊し、それに恨みを抱いた犯人が宗教組織に関係があると思い込んでいた安倍元総理の殺害を計画したといわれています。

ネットでは昔から、その宗教団体と安倍氏が関係しているという真偽不明の噂がありました。この報道が事実なら、犯人はその噂を信じていた可能性が高いです。

しかし、その噂に信憑性はほぼありません。安倍元総理がお祝いのメッセージを送ったのは事実のようですが、有力政治家が祝電を送る団体など数知れません。安倍元総理がその宗教団体に利益供与をおこなった具体的な事実は僕が知る限り何もありません。もちろん、安倍元総理が犯人の家族を崩壊させた証拠もありません。

それにもかかわらず、そのデマは執拗に繰り返され、今回の犯行の遠因になった可能性があります(繰り返しますが、犯行動機も背景もまだ明らかになっていませんので、現在の報道をベースに考えてみます)。

どうして、そのようなデマが繰り返されたのか。その背景には、一部の人物による「アベ憎し」の言動があったと推察されます。

安倍元総理への罵詈雑言は本当にひどいものがありました。持病を揶揄したり、聞くに耐えない言葉がネットにばらかれていたりしました。

それぞれの思想には触れませんが、安倍元総理だけがもっともそして長い間誹謗中傷をうけたのは、「権力者」だったからだと思います。

史上最長の総理在任日数を記録した安倍元総理は、権力の象徴として、総理退陣後も叩かれ続けていました。

権力=悪?

叩く理由は、人によって様々ですが、「権力は叩いてよい」と考えていた人もいると思います。「権力=悪」と考えている人が一定数存在すると思います。

権力が悪だと考えていれば、長い間権力を保持していた安倍元総理への憎悪が高まり、犯人が信じたと思われるデマが流布された背景になったと考えてもおかしくありません。

「権力=悪」という考えは、マスコミから来ていると思います。ジャーナリズムは権力の番人であり、権力を監視するのがジャーナリストの役割だと考えられています。

それ自体が間違いということはありません。権力は増長すれば怖いもので、監視されなければ権力は腐敗し恐怖政治を始めることは歴史が証明しています。

ただ、監視を通り越してマスコミが権力を攻撃していることも見受けられます。監視ではなく、権力を倒すことが目的になっているのではと思えてしまう媒体も存在します。

本来、権力は悪ではない。決定権をもつ権力を有効的に正しく用いることで世の中が良くなるはずです。権力をもった政権が倒れても、また別の人が権力を握るだけです。

「権力=悪」という思想は、学生運動の頃に培われたように思います。60年代、70年代の学生運動は様々な思想がありましたが、根本にあるのは反体制運動だったように思います。

特に、革新系のマスコミは、当時の学生運動の思想の残滓があるように思います。「椿事件」のようにその思想が露見したこともありました。

繰り返しますが、権力を監視するのはジャーナリズムの役割です。批判も自由です。表現の自由は何よりも守られるべきものなので、誰が何を語るのも自由です。

ただし、侮辱罪の罰則強化でわかるとおり、個人への誹謗中傷は厳しく罰せられるというのが風潮です。個人を誹謗中傷するのは許されることではありません。誹謗中傷をネットで受けた芸能人が亡くなったのも記憶に新しいと思います。

しかし、権力者への誹謗中傷は許容されています。虚偽の報道を政治家が告訴するケースはありますが、大半の誹謗中傷は見過ごされます。一般人には自殺に追い込まれそうなことでも政治家なら許されるという雰囲気があります。その背後には「権力=悪」という50年前の思想がゾンビのようにまだ生きているのです。

小さな誹謗が大きな災厄をもたらす

マスコミもネットの意見も、「これは批判だし、誹謗中傷ではない。たとえ誹謗中傷だとしても、それが今回のような惨劇につながるとは思えない」という人もいると思います。

ただ、世の中には様々な人がいます。普通の人が笑ってすますような宗教団体のデマを信じる人もいるのが、この世の中です。誹謗中傷が許されていれば、許されていると思っている人がいれば、その憎悪は広がっていきます。自分は倫理より少しだけはみ出ているだけの批判だと考えていても、その誹謗は燎原の火のように広がっていき、炎は高く燃え上がり、今回のような凶事に繋がる危険性があるのです。

繰り返しますが、批判は絶対に必要です。ただ、批判が目的化すると、先鋭化していきます。すでに検察で不起訴になった事案を「疑惑」と称して新たな証拠がないのに長年追求するような論理的ではない行動に変わっていきます。本当に権力に問題があるなら、証拠を集めて追及すべきです。それが権力の監視というものです。権力を批判することが目的化すると、それ以外の情報が見えなくなります。権力を糾弾したいあまり、権力者の功績を無視し、反権力者(たとえば野党)を無批判でもちあげることになります。それでは公平な報道とはいえなくなります。

決して、誹謗中傷の元になる流れを作ることが権力を監視することになりません。

権力を正しく使うために

権力を正しく使うことで世の中を良くすることができます。世の中を大胆に改善するには権力が必要です。権力者だけではなくジャーナリズム、世論が共に正しい方向へ決断する仕組みを構築することが重要になります。

今回の悲劇は、権力への無秩序な誹謗中傷の果てに起きたように思えてなりません。それが最近ではSNS・ネットを中心に行われていることを否定できる人はいないでしょう。

学生運動の頃から時代は大きく変わっています。社会は複雑になり、善悪の区別がすぐにつく時代ではありません。「権力は悪である」のような単純な思想はむしろ危険です。

そろそろ「権力=悪」という思想から脱却し、無秩序なな誹謗中傷をやめて、ジャーナリズムもネット世論も正しく権力を監視し、論戦する健全な場を設ける必要があるように思います。

それは言論弾圧ではありません。批判することを目的化せずに、権力者だからといって誹謗中傷をやめるということだけです。

それが、今回のような惨劇を今後防ぐことになると思います。

IT関連のブログをほぼ毎日更新していますが、本業は高山環(たかやま かん)というペンネームで小説を書いています。
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