執筆について
このブログでは毎日IT関連の情報に筆者なりの考察を加えて書いていますが、今日は小説の執筆について記します。
まず、拙作を読んで頂いている方に感謝を申し上げます。作者にとって自分の作品を読んで感想をいただくより嬉しいことはありません。新しい感想をAmazonのレビューや読者メーターなどで見つけると嬉しい気分が一日中続きます。
もちろん厳しい批評をいただくこともありますが、ごもっともという意見も多く、「こういう感じ方もあるんだ」と執筆の参考になります。
執筆のきっかけ
小説を書き始めたのは、小学生5年生のときです。それまでも漫画を描き、新しいゲームを考える妄想好きの少年でした。
ある日、創作作文の授業があり、他の生徒が苦労する中、物語がすらすらとでてきて授業の時間いっぱい夢中で書きました。僕が書いた物語を読んだ先生が「さすがね」と言ってくれたのを今でも覚えています。その先生は臨時の先生で、僕の物語の何が「さすが」だったのか今でもよくわかりませんし、その時の物語の内容は覚えていませんが、自分の作品が認められた温かい気持ちは今でも残っていて、執筆するときの支えになっています。
それから、書かない時期もありましたが、毎日頭のどこかで物語を考え、時には妄想しながら、書き続けてきました。
最近は、働きながら一年に一作の長編小説を書き上げることを自分に課して、脱稿した小説は出版社の新人賞に投稿して、残念ながら受賞しなかった作品をAmazonで出版してきました。
転機について
いつかは新人賞を獲って、本格的に作家デビューしたいと思い書いてきましたが、三年前に転機が訪れました。
新人賞受賞という転機であればよかったのですが、その転機は痛みが伴うものでした。
僕は車で轢かれて、生死をさまようことになりました。趣味の一つであるランニングをしていた時に車に30m引きずられる事故に遭い、気がついたら病院のベッドで寝ていました。あとから聞くと、その場に急行した警官も医師も「これは助からない」と全員が思ったそうです。
ところが、奇跡的に僕は助かりました。あちこちの骨を折り、肺に穴があき、何本もの歯が抜けました。それでも手術の結果、また立ち上がることができ、多少の問題はありますが、日常生活ができるまでに回復しました。
家族にも周りの人にも迷惑をかけて、自分の甘さを反省しましたが、一方で「小説執筆のネタになる」と不謹慎にもちらと考えたのは作者の悪しき習慣でしょうか(新作「箱の中の優しい世界」の冒頭の事故シーンは自分の体験を基にしています)。
とはいえ、入院生活は不自由極まりないものでした。入院したのが緊急病棟だったので、新たな患者がしょっちゅう運び込まれてくるので、夜中でも通常の病室より騒がしく、なかなか眠りにつくことができませんでした。深刻な事故や病気の患者が運ばれてきたときは患者の家族の泣き声が夜中に聞こえてきて切なかったです。
とにかく早く退院したくて、リハビリに力を注ぎ、歩いたほうがよいと言われれば、病院の周りを一日中歩きました。
医師と話して、一ヶ月少々で退院しました。医師によれば、あれだけの大事故と大怪我にしては記録的に早い退院だったそうです。
自宅に戻り、今回起きたことを改めて思い返しました。生身の人間が自動車に轢かれているので加害者側に多くの非があるのですが、自分の甘さが出た事故でもありました。「なんとかなるだろう」という過度に楽観的な考えが、この事故の遠因にあると悟りました。
もうひとつ、極めて当たり前で自明のことが頭に浮かびました。「人は簡単に死ぬ」ということです。お金持ちでも王様でも避けられない「死」というものが思っているよりも自分の身近に存在し、なにかのバランスがちょっと崩れると、死は途端に人を取り込むことを実感しました。
死ぬことが怖いと言うより、自分がやりたいことを成し遂げられず死ぬことのほうが自分にとっては恐怖です。
スティーブ・ジョブズの有名な言葉に以下があります。
「もし今日が人生最後の日だったら、今日やることは本当にしたいか?」この問いに「NO」が何日も続くのなら、なにかを変えなくてはならない
この言葉はずっと頭にありました。会社で働くことは別に嫌いではありませんでした。多くの人の身の上話で聞く限り、サラリーマンの中で自分の立場ははるかに恵まれていました。代われるなら代わりたいという人はいたと思います。でも、それは「一番やりたいこと」ではありませんでした。
事故をきっかけに会社を辞めて執筆活動に入ることを考えるようになり、元の体調へ完璧には戻らず海外出張も多い業務を続けるのが困難ということもあり、実行に移しました。
多くの人から「馬鹿じゃないか」「無謀過ぎる」と言われました。当たり前です。
ですが、事故の前からいつか実行しようと十年以上準備を続けてきました。ずっと書き続けてきて毎年新作を書き上げた自負もありました。多くの方からいただいた感想と毎日誰かが読んでくれていることが自信となりました(KindleではKindle Unlimitedで読んでくれたページ数を著者は確認することができます。誰が読んでくれたかはわかりませんが。もし読者が誰かわかったら、全員に感謝の言葉を伝えたいです)。
こうやって書くと、某ブロガーが主張する「脱社畜論」みたいに聞こえるかもしれませんが、自分の場合は恵まれた環境で長い間準備してきたことを強調しておきたいと思います。
「みんなも会社を辞めて、夢に向かって走れ!」なんて絶対に言いたくありません。本当に実行した人間から言わせてもらえれば、よほどの準備と覚悟がないと後悔する確率の方が高いと思います。組織に所属せず、先が見えない中で自分ですべてを行うというのは、とてもタフなことです。
いつかはやりたいと十年間聞かされ続けてきた家族も(たぶん)納得してくれて、昨年から副業をしながら執筆生活に入りました。
その結果、一年に2作の長編を完成することができました。そのうちの一作が「箱の中の優しい世界」です。もう一作はある新人賞に投稿しました。
事故により、多少計画が前倒しになりましたが、いまのところ大きな後悔はありません。
今の生活では執筆するための制約はほとんどありません。これは言い訳ができないということです。会社があるから、出張があるからと理由をつけて書かない日々はもう存在しません。
今年も新作の執筆をはじめました。今までいただいた感想を参考にして、より多くの人に読んでもらえる善い作品を目指して、日々書いています。
いつか作家になれるかどうかはわかりませんが、小学生の僕が先生にもらった言葉、多くの人の感想で心を温めながら、「善き物語」を残すために書き続けています。
もし、できれば拙作を読んで、感想をいただければ幸いです。長い自分語りを読んでいただきありがとうございました。