日本の物価は安い?
日本の物価が安いと話題になっている。大江千里が、住んでいるニューヨークに比べて、日本の物価が安すぎて心配になると発言した。日本には500円のランチがあるが、アメリカではサンドイッチも買えないと言っている。それは日本の従業員が我慢を強いられているからだと。
本当に日本の物価が安いのか考えてみます。
「安い」の定義
大江千里はアメリカの視点で「安い」と判断している。つまり内外価格差が大きいということを言っている。物価が安いかどうか判別するとき、その国の平均収入が重要になってくる。収入が多ければ、絶対的な価格が高くても、心情的には「安い」と感じる。逆に収入が少なければ、低い価格でも「高く」感じる。
アメリカの平均年収は約565万円で、日本より20%ほど高い。アメリカは都市や職種によって年収が大きく異なる。ニューヨーク在住の平均年収は2000万円を超える。当然、地価も高く、そこで販売しているものも高い。
ニューヨークから見れば、日本の物価が安いと思うのは当然だ。悪く言えば、金持ちが貧乏な地域へきて、「物価が安すぎる」と怒っているようなものだ。
安い日本の給料
一方で、日本の給料が安いのも事実だ。平均年収では世界と比べてそこまで安いわけではないが、大企業の平均年収はアメリカとは比較にならない。外資系企業は給料が高いとよく言われるが、正確には日本に進出できるような巨大外資系企業の給料が高いだけで、全ての国外の企業の給料が高いわけではない。
日本にいると分かりづらいが、欧米に比べて日本の給料差は著しく小さい。近年は日本の大企業の成長率が落ちているので、「日本全体の給料が相対的に安い」状態になっている。給料が低ければ、購買力も落ちるので、高いものが売れなくなる。
高い競争率
日本の市場は競争率が高い。島国で独自の言語を扱う日本は市場が限定的だ。ヨーロッパのように他国へ買い出しへ行くこともできないし、日本で売るにはローカライズが必須になるので、国内企業の製品が多数を占める。
人工密度も高いので、街中での競争率は激しい。生き残るために継続的な工夫が必要だし、どうしても価格競争になりやすい。必然的に物価は低下傾向になる。
市場が限られているので、売るには工夫が必要になる。「ガラパゴス化」と揶揄されるけど、狭い市場だからこそ製品開発競争も激しい。コンビニへ行けば、毎日のように新製品が登場している。海外ではそんなことはない。いつでも同じお菓子が置いてある。大量生産大量消費のアメリカでは、頻繁に新商品を開発製造するのが難しい。
製品開発競争には、効率化も含まれる。競争に打ち勝つために、一円でも安く製造販売するために各社が工夫を凝らしている。
日本の物価が安い理由の一つが、市場が限られていて、競争率が激しいことにある。
問題は限定された市場
みてきたように、「欧米と比較して日本の物価が安い」というのは事実だ。ただ、物価は結果である。限定された市場、高い競争率により、給料も物価も低く抑えられているのが実情だ。企業が給料をケチるから物価も低いままだという意見もあるが、安い給料で人が雇えるなら企業は給料を上げる必然性はない。国内で競争するだけなら、自社だけ昇給させる必要はない。
購買力が上がらないのに値上げしたら、当然モノは売れなくなる。市場を無視して、物価と給料のどちらかを無理やり上げることはできない。
では、どうすれば良いのか。物価を上げたければ、日本の市場をグローバルスタンダードにすれば良い。外国資本を大量に入れて、日本市場を「世界市場の一部」と同化してしまえば、給与体系も変わり、それにつれて物価も上がるはずだ。
ただ、それで多くの日本人が幸せになるかどうかは別問題。アメリカでもヨーロッパでも日本より貧富の差が大きい。アメリカの平均年収は日本の20%増だが、Appleなどの一流企業の年収は平均年収の4倍近い。ニューヨークや西海岸とアメリカ中部では年収は大きく異なる。しかし、物価はほとんど変わらない。当然、生活レベルも大きく異なる。その差は、日本の東京と地方の比ではない。
また、アメリカは企業が従業員を解雇するのが日本より容易だ。従業員数をコントロールすることで、業績を維持し、高い給料を維持している。市場がグローバルスタンダード化するということは国民もグローバル化しないといけない。英語を話すのも当たり前だし、競争に負けたら無職になり再チャレンジをするメンタリティも必要になる。その結果、国民全員がお金持ちになるわけではなく、今の日本より貧富の差は激しくなるのは間違いない。
日本の安い物価を解消するには、痛みが伴う。それが幸せと思えるかは人によって意見が異なるだろう。だが、日本の企業競争力がさらに落ちて未来には、選ばなくてもこのような状態になっていくと思われる。