転売は感情の問題?
転売の何が問題かと突き詰めて考えると、感情の問題なのかもしれない。転売は希少な商品を買い占めて、高値をつけて販売する行為だ。
通販サイトや小売店舗ではなく、「正規ではないルートで販売している」「楽して儲けている」という批判が転売行為にはあるが、改めて考えるが、「正規なルートとは何か?」「楽して儲けることがなぜ悪いのか?」と言われると、説明に困る。
問屋から小売店なら販売してよくて、他はダメだというのは、言い換えれば既存の販売ルーという既得権益を守ることになる。Amazonなどの通販サイトが登場したときも、従来の販売ルートと異なると小売店舗から批判が起きた。
転売屋の行為は通販サイトや小売店舗から普通の消費者と同じように商品を購入するから誰でもできる。それで儲けるのは安易ともいえるが、転売屋は個人の資本で一般消費者として通常の価格の商品を購入し在庫を抱えるので、売れなければ負債となるリスクがある。
コロナ禍のマスクを買い占めて大損したニュースがあったが、売れなければ損失になる。
転売が犯罪行為ではないのは、通常の物販行為との線引きが曖昧だからだ。メーカーでなければ、小売店や通販サイトも卸値で購入して利益を載せて販売しているわけで、転売行為と本質的な違いはない。
それでも転売行為が批判されるのは、「本当は安く買えたのに転売屋がいるから買えなくなった」という意見が強いからだ。
一方で、「高くても転売屋が売れるのは需要があるから」とも言えるし、「商品価値とメーカーの希望小売価格が合致していない」とも言える。
「楽して儲けるな」という転売屋の批判は感情的な問題なのか?
商売は信用
転売屋は「ズルして儲けている」みたいな感情的な批判はまちがっているのか? 実はそこに抜けているポイントがある。それは「商売とは信用」ということだ。
馴染みの店舗や通販サイトで購入するのは、「この店舗ならリーズナブルで相応の品質の商品を販売してくれる」という信用があるからだ。Amazonを訪問して購入するのは、Amazonなら大体安値で買えるという信頼関係がAmazonと購買者の間に成立しているからだ(もちろん配送などのサービスの優位性もあるが、どんなにサービスが良くても高ければ買わない)。
転売屋との間で信頼は成り立つだろうか。どこの転売屋が信用できるかと考えて買う人はいないだろう。転売行為は、本来誰でも購入できるはずの「メーカー希望小売価格」に上乗せして販売しているのが、誰にでもわかる。通常の店舗なら絶対にわからない利益が明確になっているので、転売屋が「どれだけ儲けたか」が購買者にも分かってしまう。それでは、購買者との信用が成り立たない。
妥当な価格で一定の品質で販売してくれる信用が商売の基本だから、相手に「狡さ」が見えたら、取引したくない。
転売行為が批判される理由
転売行為が批判されるのは、その行為が違法だからではなく、信用がないからだ。信用がない商行為は成立しないし、敬遠される。転売屋への批判は感情的ではなく、信用に欠けているからで、商売の本質を逸脱しているからと言える。
転売が