宝島社より 「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」 が発売になりました。私にとっては初の商業出版になります。
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リアリティ・ラインは読者との共犯関係

映画を観て気になったこと

先日、ある映画を鑑賞しました。全体的には面白かったけど、観ていながらずっとあることが気になっていました。
ネタバレになるので、詳しくは言えないけど、物語のキーになるものの存在意義が最後までわからなかったのです。
「えっ? XXすればいいんじゃない?」という疑問がラストまで消えませんでした。ミステリー小説だと、そういう違和感が最後で解消されてスッキリする作品が多いですが、この映画では、最後までその疑問は残り続けました。

その疑問(矛盾と言っても良いかもしれない)があったからって、この映画が駄作と言いたいわけではありません。
映画がフィクションである以上、現実では起こり得ないことがあるのは当然です。
現実では、宇宙人は侵略してこないし、タイムスリップしてきた人もいません。密室殺人や大量殺人が起こることはほとんどないです。
現実の人間はたくさんの人と関係し、毎日仕事や趣味に時間を費やしているけど、小説や映画の限られたボリュームでは切り捨てられる人間関係や描写がたくさんあります。
フィクションを現実に照らして「ここが違う」と文句を言うのは不毛なことです。

リアリティ・ライン

ただ、物語に没入するためには、リアリティ・ラインが重要になってきます。
リアリティ・ラインとは、「この物語なら、こういうことが起きても納得できるもの」だと思います。
リアリティ・ラインは、物語によって異なります。本格ミステリーなら、密室殺人は起きても納得できますが、突然現れた宇宙人が犯人だと読者は納得しないでしょう。SFなら宇宙人が登場しても読者は納得できます。

今回観た映画は、本格的な戦争ものでした。現実には起こり得ない戦争ではありますが、それはフィクションなので許容はできます。ただ、リアリティ・ラインが高い物語なのに、実際の戦闘では絶対に起こり得ないことが発生して、それが物語の核になっているので、気になったわけです。
別に僕はミリタリー・オタクではないのに、一瞥しただけで「おかしい」と感じてしまいました。
物語のコアなことだったので、一度おかしいと思ってしまうと、物語に没入できなくなってしまい、そうなると他のアラもたくさん目についてきてしまいました。

リアリティ・ラインとは、作者と読者の共犯関係だと思います。「これはこういう話だから、こういうことが起きてもOK」と両者が納得しながら進むのが良い物語だと思います。
なかなか難しいのですが、僕が小説を書くのに気をつけているのは、「おかしなことは冒頭に見せる」ということです。
冒頭は読者の集中力がまだ健在なので、多少現実離れしたことでも読者は理解してくれます。宇宙人が登場するなら冒頭がベストだし、少なくてもこの後宇宙人が登場することを匂わせるべきです。
たとえば「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」では、死神が登場しますが、現実世界では死神にお会いした人はいないでしょう。だから、物語のできるだけ冒頭で死神を登場させて「この物語は死神が出てくるリアリティ・ラインですよ」と読者に教えるようにしています。
適切なリアリティ・ラインを構築するためには、読者視点を持ちながら小説を書くことが大事だと思っています。
作者が独りよがりに書いてしまうと、読者が置いてきぼりになってしまうので、冒頭で提示したリアリティ・ラインをはみ出さないように気をつけながら、「こんな話おかしくね?」という読者視点を持ち続けて書くようにしています。

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