宝島社より 「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」 が発売になりました。私にとっては初の商業出版になります。
自分の小説が本屋に並ぶという中学生からの夢がようやく実現します! 興味がある方は書店で予約してみてくださいませ。

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お金で集中力を買う

結果を出せるかどうかは「集中力の有無」による部分が大きいと思います。どんなに才能があっても集中力がなければ大成しません。
棋士の藤井聡太八冠があれだけ勝てるのは、類まれな才能を有しているだけではなく、対局に没入できる集中力があるからだと思います。

全く自慢できることではないのですが、僕の集中力はかなり貧弱です。このnoteを書くのに、ここまで3回ぐらい別のサイトを眺めてしまいました。

言うまでもないことですが、小説を書くには集中力が不可欠です(執筆に限らず全ての仕事に集中力が必要ですが)。

か弱き自分の集中力を強化するために、デスク周りを綺麗にして気を逸らすものをなくしたり、音楽を聴くようにしたり、ポモドーロ・テクニックを採用したり、今まで様々なことを実践してきました。
その中で最も有効的だったのが、「お金を遣うこと」でした。

小説執筆は自宅でもできます。無料で使えるので、一番リーズナブルです。ただ、自宅には誘惑も多いです。本や映画、昼寝もできてしまいます。

そこで、執筆するときはスタバやファミレスに出かけることが多いです。当然、お金がかかるわけですが、貧乏性の僕にとっては「お金を遣う」ことが重要なのです。
「お金を払ったから、書かないともったいない」という節約精神で集中して書くことができるわけです。「払った金額だけ書かないと損をする」と思えば、他のことで時間を遣うことがなくなります。

貧乏くさい話ですが、「お金を遣う」ことを大義名分にして、場所を変えて気分を変えることが重要なのかもしれません。

ある漫画家が自宅でも仕事ができるのに、歩いて行ける距離に仕事場を借りたという話を聞いたことがあります。仕事場の方が狭くて使いづらいのに、仕事場を用意したことで作業に集中できたということです。
有名な漫画家さんなので、「家賃が勿体無いから描かないと」と思ったわけではないだろうけど、生活と仕事を分けることでスイッチを切り替えるのでしょう。

コロナ禍後、リモートワークが増えましたが、リモートワークの方がオフィスで働くよりも生産性が上がる人がどれだけいるのでしょうか。
アメリカのIT業界では、現在リモートワークを減らすようにしています。家賃がかかるからリモートワークの方が節約できるのに、家賃よりもオフィスで社員が一緒に働く方が収益を改善できると考えているのでしょう。

小説家は孤独な仕事ではありますが、ひとりではないと感じられることもカフェやレストランで書くメリットなのかもしれません。

記号みたいな文章

以前は、「記号みたいな文章を書かない」ように小説を執筆する際には気をつけていました。
「記号みたいな文章」とは、「と僕が言った」とか「こちらへどうぞ」みたいに、意味は通じるけど、読んでも面白味がない文章のことです。
自分で書いていても面白くないのだから、他人が読んでも面白くないだろうと、記号みたいな文章をできる限り排除しようと苦労していました。
「言った」と書かないために、「顔をこわばらせた」とか「糸のような細い声を吐いた」みたいに慣用句や比喩を用いるようにしていました。

まあ、これは僕だけではなく、多くの小説家志望の人が陥る病みたいなもので、みんな一度は苦心惨憺したことがあるはずです。

プロの小説家がみんな「記号みたいな文章」を排除しているかというと、そんなこともありません。
文章の美しさに重きを置かない小説では、むしろ記号みたいな文章が好まれる傾向にあります。「記号みたいな文章」は、道路標識や地図記号と同じようにわかりやすく、意味が容易に伝わります。
やたらわかりにくい比喩表現より素早く読めて内容がわかる文章の方が読者に喜ばれる小説があります。ミステリーのようにストーリーによって読ませる類の小説です。

ハードボイルドというか硬質な文体を好む作家だと、あえて記号みたいな文章を用いることがあります。
ある小説家が「登場人物が喋っているなら、余計なことを考えずに『言った』と書け」と教えていました(誰だっけ? スティーヴン・キング?)。
オーディオブックで村上春樹著「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を聴いたときに、「と僕は言った」があまりに多いのに驚きました。耳で聴くと黙読よりも同じ言葉の繰り返しがよくわかります。
おそらく村上さんはハードボイルド調の文体にするために、あえて飾り気のない文章を採用したのだと思います。村上さんだから文体と小説がマッチして成功しているけど、他の小説家が真似をすると、怪我をすると思いますが。

「記号みたいな文章」が悪いわけではなく、小説の内容にあった文体を選択しようということなのでしょうね。
最近は、小説の内容によって「記号みたいな文章」を用いるかどうか使い分けるようにしています。

本とCDの違い

CDを買う人が減っています。この10年でCDの売り上げは半減しているそうです。人々が音楽を聴かなくなったわけではなく、音楽ファイルやサブスクによる音楽配信で聴くようになったわけです。
DVD・Blu-rayも同様で、売り上げが減少していて、サブスクによる映像配信で視聴する人が増えています。

僕はデジタル大好き人間なので、電子書籍も好きですが、紙の本を読む機会は減らず最近はむしろ増えている感じです。
書籍も同じように、紙の本が電子書籍に取って代わられると語られる言説も多いですが、本とCDは決定的に違うところがあります。

本は常に触っていられることができる点が大きく違います。物理メディアであるCDもDVDもジャケットと円盤メディアに触れることができますが、音楽や映像を視聴するときにジャケットを触れ続けている人は少ないでしょう。本体である円盤はデッキに入っていますし、ライナーノーツをずっと読み続けている人はいないでしょうし、映画だと部屋を暗くして読めないし。

紙の本を読んでいる間、読者は紙の手触りをずっと感じ続けることができます。ページを捲る軽やかな感触が指に伝わり、ページ数の厚みを確かめて「もう少しで読み終わる」と寂しい思いをし、紙に匂いを嗅ぐことも、電子書籍にはない紙の本の愉しみです。

紙の本は並べておくと装飾にもなります。CDもDVDも並べられますが、限定版でなければ、ケースは本よりも薄いですよね。

フォントサイズを変えられ、栞が不要な電子書籍は確かに便利です。便利なものは好きですが、便利ではない状態も、また好きです。

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Amazonの「秋のKindle本ビッグセール」に選ばれました

拙作に「ふたりの余命」と「ひとりたちの余命」がAmazonの「秋のKindle本ビッグセール」の対象に選ばれました。
Kindle本は時々割引セールを実施することがあって、そのセールの対象に選ばれたというわけです。
普段は298円のところ期間中は値引きされて149円で購入することができます。
自著なんだから、Amazonにわざわざ値引きしてもらえなくても、自分で価格を変更することもできますが、セール対象になるとセールページでAmazonがPRしてくれるメリットがあるはずです。
が、今現在(2023/11/17 13:40)、秋のKindle本ビッグセール」は見つかりません(なんで?)。
同日開催の「Kindleマンガビッグセール」のバナーはあるのに。

でも、値引きはすでにされています。

Kindle Unlimited会員なら、無料で読めます。
そうでない方は、このキャンペーン中に是非お求めくださいませ。

「ふたりの余命」

 
 
 

一段落

一段落

10月5日に「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」が上梓されてから40日が経ちました。
子供の頃からの夢だった書店に自分の本が並ぶ風景も見慣れてきました。この間に、無名の新人小説家の本を手に取ってもらうために、いろいろな活動をしてきました。備忘録代わりにまとめておきます。

サイン色紙

サイン色紙を用意しました。よく書店にある小さな色紙にメッセージが書いてあるやつです。
会社員時代は、承認のために毎日大量のサインしていましたが(外資系企業なので印鑑は使わなかった)、ペンネームのサインは初めてでした。
どういうサインにしようと色々考えたのですが、無名の新人小説家なので、名前を知ってもらうために、読みやすい文字にしてみました。
根っからのデジタルキッズなので(?)、字は下手くそで、これでもかなり練習した結果です。
工夫したことといえば、本を見つけられやすいように書影の写真を貼付したことですかね。
サインには落款を押すのが普通ですが、持っていないので、子に猫のスタンプを作ってもらいました。
当たり前ですが、書店へ勝手に訪問して置いてもらうわけにはいかないので、要望があった書店のために書きました。
こちらは、宮崎イオンモールにある「未来屋書店 宮崎店」様へのサイン色紙です。店頭に飾っていただきました。恐縮の極みです。

生まれて初めてのサイン色紙

新聞に載る

新聞二紙に記事を掲載してもらいました。
「ひなた宮崎経済新聞」さんと「朝日新聞」さんです。ありがたいです。文芸欄ではないので、どちらかというと著者に焦点が当たった記事になっています。
記事を読んで、無名の新人小説家を知ってもらい、本にも興味を持ってもらえたら、嬉しいです。
文字メディアは、話している時の表情や口調が記事には直接影響しないので、取材を受けていても、気持ちが楽でした。

宮崎在住の高山環さんが「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」出版 宮崎県在住の小説家・高山環(かん)さんの小説「ふたりの余命 余命一年の君と余命ニ年の僕」(宝島社文庫)が10月5日、発売さ miyazaki.keizai.biz 
大手IT会社を退職 移住先でつかんだ作家デビューの夢 高山環さん:朝日新聞デジタル  宮崎市在住の小説家高山環さんが10月、死に神に余命宣告された2人の高校生を主人公にした恋愛ミステリー小説「ふたりの余命  digital.asahi.com 

テレビに出演する

MRT宮崎放送さんのニュース番組「Check!」に取り上げてもらいました。
結構長い尺で放送してくれて、嬉しいことに「王様のブランチ」みたいに再現ドラマも含まれていました。さすがTBS系列。
テレビの撮影は苦手です。表情や姿勢、口調、話し方のスピード、もちろん話す内容、気をつけることがたくさんあって、本当に難しいです。プロのアナウンサーって本当にすごい。

交通事故きっかけに外資系大手IT企業から小説家へ転身 デビュー作に込めた「命の尊さ」 恋愛ミステリ―小説「ふたりの余命」高山 環 さんに聞く | MRTニュース | MRT宮崎放送 宮崎市在住、高山 環 さんのデビュー作「ふたりの余命」という恋愛ミステリー小説を紹介します。交通事故がきっかけで、小説家に newsdig.tbs.co.jp 

note

出版に合わせてはじめたのが、このnoteです。
無名の新人小説家を少しでも知ってもらうために、毎日更新してきました。
小説に関することに限定して書いてきて、すぐにネタ切れすると思ったのですが、意外と続くものですね。
毎日、寝る前に執筆して、朝に推敲してアップするようにしています。
40日続けてきた結果のアクセス数トップ3をご紹介します。

1位 「小説家デビューから10日が経ちました

アクセス数1位は「小説家デビューから10日が経ちました」でした。
本が出版されてから10日目に書いたnoteです。どうしてアクセス数が多いのかよくわかっていないのですが、「小説家デビュー」というタイトルがヒットしやすかったのですかね。

2位 「iPhoneで小説を書く

アクセス数2位は「iPhoneで小説を書く」でした。
iPhoneという小さなディスプレイで小説を書くスタイルが珍しかったんでしょうか。一番写真が多く、実用的な記事だったかもしれません。

3位 「Kindleと書籍では読者層が異なる

アクセス数3位は「Kindleと書籍では読者層が異なる」でした。
長い間Kindle作家をやってきて、商業出版との違いを紹介しました。初めて引用したデータを載せた記事かもしれません。図や写真が多い方が読まれやすいんですかね。
このnoteをアップした後も、「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」を読んだ方から、中盤以降の下りが良かったという評価をいくつか頂いたので、商業出版する際は、より大人の読者を意識した内容にした方が良いように思いました。もちろん、ほんのジャンルによっても異なりますが。

感謝です

ひとりでも多くの方が本を手に取ってくれるように、これまで色々なことをやってきました。これだけのことができたのは、色々な人の協力があってこそできたことです。特に宮崎の人たちにはたくさん協力してもらいました。本当にありがとうございます。

ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」と高山環を今後ともよろしくお願いいたします。

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どの人称を使っている?

小説を書くときに人称をまず決める必要があります。
僕の場合、最近は「三人称一元視点」で書くことが多いです。「三人称一元視点」とは、「僕」「私」ではなく、主人公の名前(「彼」「彼女」でもいいけど)が主語で物語が進行する形態です。
著者初の商業出版「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」も「三人称一元視点」で書かれていて、基本的に一人の視点で描写されています。
過去に書いた長編作品の人称を調べてみました。

  • 一人称・・・10作品
  • 三人称一元視点・・・8作品
  • 三人称多元視点・・・4作品

一番多いのは、一人称の10作品でした。初期の頃の作品は一人称を用いることが多かったです。小説を書き慣れていなかったので、日記などで使い慣れている一人称で書いていました。慣れてくると三人称で書くことが増えていきました。

最近の作品では、「四度目のF」が一人称で書かれています。本作は片思いの女子高生が主人公なので、より内面にフォーカスしやすい一人称にしました。
内心について深く語る内容や、視野を狭くして、伏線を張りたい場合などは一人称を用いるようにしています。
一人称だと、主人公の行動を読者が追体験しやすいと気がします。
その物語が、一人称でも三人称でもどちらでも書けるようなら三人称を選びます。

三人称一元視点は8作品でした。最近の作品の多くは、三人称一元視点を用いています。特別な意図がなければ、まずは三人称一元視点で書き始めることが最近は多いです。
主人公ひとりの視点の物語なら一人称でも書けるのですが、三人称一元視点で書くことで話者の固有名詞を読者に伝えられ、誰が話しているか明確になる効果があります。
三人称一元視点は、一人称より離れた場所からカメラが主人公を描写しているイメージですね。
三人称一元視点は、カメラが外部にあるので、読者に対して知らせていない部分があっても良いと勝手に決めています。例えば語られていない過去の秘密とか。

対する一人称はカメラが主人公の内面にある感じです。
一人称は主人公がカメラとが一体なので、読者に隠し事をするのに適さず、主人公の行動を読者が一緒に体験するイメージで書いています。

三人称多元視点は4作品。多元視点を用いるのは群像劇が多いです。多くの人物が個々の思惑によって行動することで物語が進行する「ニューバースの夜明け」や「磐田の棋理」は三人称多元視点で描かれています。

まとめると、こんな感じ。

・主人公が一人なら、「三人称一元視点」
・行動する人物が複数なら「三人称多元視点」
・主人公の内面を掘り下げたいなら「一人称」

僕個人の体験による人称の使い分けですので、学術的にあっているかどうかはわかりません。悪しからず。

最後に参考までに、過去作品の人称を置いておきますね。昔の作品は読み直さないと、人称を忘れていることに驚き。

「本が売れれば全員幸せになれる」

「本が売れれば全員幸せになれる」
このセリフは、編集者の方と話していたときに僕の口から自然に出た言葉でした。

本が売れることで、著者はもちろん、版元、書店、本を楽しんでもらえる読者、本に関係するすべての人が幸せになれるという意味です。

文芸とも呼ばれる小説って芸術の一分野みたいに捉えられることもあるので、「商品」じゃないと考える向きもありますが、僕は長年会社員だったからか、本の販売もビジネスだと考える傾向があります。

売れなければ、出版社は新作を出版できないし、著者も書き続けることはできません。読者も限られた本しか読めなくなります。
本が売れれば、出版社は新しい本に積極的に投資ができるので、新人賞を設けることができ、新しい小説家を発掘することができます。

問題はどうしたら売れるかわからないことです。単純に言えば、「良い本を作る」ことなのでしょう。素晴らしい物語を綴り、素敵な装丁で本を纏い、本の良さがわかる広告をうち、誰もが手に取れるように配本をする。
ただ、これらを完璧に遂行できたとしても、本は他の商品よりも種類が豊富なので、売れるとは限らないのが難しいところです。

まあ、そんな手法がわかっていれば、出版社も著者も苦労はしません。
わからないからこそ、本のビジネスは面白いのかもしれません。金鉱脈を探る山師みたいに。

Amazon Kindleで小説が売れる8つの方法

ちょっと書きにくい話

Amazon Kindleで自著が売れる方法を書きたいと思います。
このネタはいつか書こうと思っていたのですが、なかなか書きにくいネタでした。
というのは、商業デビューしたので、書店で自著の「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」を販売してもらっています。
リアル書店とKindle本はライバルというかなんというか微妙な関係な気がするので
で。

ですが、自著が売れないと悩んでいる人が多いと思いますので、僕が考える「Kindleで売れる方法」を記します。

もっとも読まれたKindle小説家(のはず)

自分が売れてないのに、「売れる方法」を書いても、信用してもらえないので、少し自分のことを話すと、おそらく多分きっと、Kindleだけで出版している一般小説家の中で、もっとも多く読まれたひとりだと思います(違っていたらすいません)。
ラノベではもっとも読まれている人もいますし、商業出版しているベストセラー作家にはもちろん敵いません。
僕が知っている限り、もっとも読まれたKindle小説家のグループには入っていると思います。
一番読まれている本は、商業出版された「ふたりの余命」です。「ふたりの余命」は長い間、Amazonランキング1位でしたし(ロマンス部門)、今でも10位圏内を維持しています。
Amazonで人気になったこともあり、「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」として書籍化されました。
ふたりの余命」を読んだ読者が、それ以外の本も読んでくれているようです。
今では、多くの方に読まれるようなりましたが、もちろん昔からそうではありませんでした。
Kindleで自著を出版して10年の間に体験したことを記します。

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KDPセレクトに設定する

自著をKDPセレクトに設定しましょう。
KDPセレクトは独占販売契約なので、Kindle以外で販売できないデメリットもありますが、KDPセレクトに設定すると、Kindle Unlimited会員は無料で読むことができて、読んだページ数によって売り上げが発生します。
Kindle本では、Kindle Unlimited会員が読んだことによる売り上げが多くを占めます。読まれることでランキングが上がり、口コミも増えて、他の読者の目に留まりやすくなります。
KDPセレクトに登録するのは、こちらからログインして「マーケティング」タブをクリックして、「KDPセレクト」の「電子書籍の登録」を選んでください。

10作品を書く

「自分の小説が読まれない」と嘆くコメントを見かけることがあります。その方の書籍一覧を見ると、一冊または数冊だけ販売しています。
Kindleで読まれるためには、多くの著作を用意した方が有利です。読者がどのような作品を好むかわからないからです。さまざまなジャンルの本を用意することで、どれかの作品がその人の琴線に触れるかもしれません。

僕は10年の間に25冊以上の小説を出版しました。
一冊読んで面白かったと思ってくれた人が、他の作品も読んでくれたことがなん度もありました。レビューに記載しないだけで、同じように複数の作品を読んでくれた人は大勢いるのだと思います。
当たり前のことですが、多くの著作を出版するためには、たくさん書かないといけません。書けば書くほど、筆力も上達します。
まずは、10作品を出版することを目指しましょう。

カテゴリーを設定する

Amazonに販売する商品にはカテゴリーを設定することができます。Kindle本も例外ではありません。
自著を見つけてもらうのに、このカテゴリーが重要なのです。
Kindleでは、カテゴリーごとにベストセラーを表示されます。上位100冊の本がベストセラーに記載されます。読者の中には、このベストセラーを見て次に読む本を選んでいる方もいると思います。
著者が設定しないとAmazonが自動でカテゴライズしてしまい、このカテゴリーは大抵間違っています。
以前は、Kindleのカテゴリーを変更するのにAmazonへ毎回依頼しないといけませんでしたが、最近は自分で設定変更できるようになりました。
Kindleのカテゴリー登録は、こちらから自著を選びます。

A+コンテンツを活用する

Amazonの他の商品と同じようにKindleの本も紹介コンテンツ「A+コンテンツ」を作成することができます。絵や写真を使って、本の詳細内容を説明することが可能です。
他の作品も選んでもらえるように、僕の場合は自著を紹介して、リンクを貼っています。

A+コンテンツの作り方は、こちら

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キーワードは大事

Kindle本にはキーワードを7つ設定できます。
キーワードは読者が検索する時に影響するので、検索されやすい語句を設定しましょう。
Amazonによると、タイトルや内容紹介と重複しないワードにした方が良いそうです。
無名の作家の本は、Amazonの検索でもなかなかヒットしません。キーワードを設定することで、検索の上位に表示される可能性が高まります。
キーワード設定は、KDPのページからできます。

早めにイベントを起こす

本の内容についての話です。
「冒頭にイベントを起こせ」というのは小説の講座などでよく言われることですが、Kindle本の場合、より早く事件・イベントを起こした方が良いように思います。
Kindle本の読者の多くは「Kindle Unlimited」の会員です。Kindle Unlimitedは、読み放題サービスなので、Kindle本をいくらでも読むことができます。
読み放題ということは、読み始めて気に入らなかったら、すぐに別の本へ移ることができます。お金を支払って買った本なら、ちょっと気に入らなくても最後まで読む人が多いでしょう。
だから、Kindle本の場合は、最後まで読んでもらえるように冒頭からすぐに本編へ入った方が良いと思います。どうしても最初に事件を起こせないなら、引きのあるプロローグを設けるべきです。

推薦しよう

「Kindle本セール」と「Prime Reading」に自著を推薦することができます。
「Kindle本セール」対象に選ばれると、期間限定の割り引き書籍として、Amazonが紹介してくれます。
「Prime Reading」は、Amazon Prime会員なら誰でも無料で本が読めるサービスです。Prime Readingに選ばれると、報奨金(?)がもらえます。Amazon Prime会員が読んだページ数は売り上げになりませんが、Kindle Unlimited会員が読んだページ数は今まで通り売り上げになるのです。
Prime会員が読むことでランキングが上がり、多くの人に自著を見つけてもらえやすくなります。
電子書籍の推薦方法は、こちら

著者専用ページを作る

Kindle本には、著者専用ページ「著者セントラル」を設けることができます。著者セントラルには、著者からのメッセージや、著者一覧を掲載することができます。

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著者セントラルページを作成すると、読者がお気に入りの著者をフォローすることができます。新作が出版されると、フォローした読者にメッセージが届きますので、PRできます。

お試しあれ

これらを全部実施したとして売れる保証はできませんが、どのアクションも無料です。やってみて損はありません。
売れるかどうかは「レビュー」も重要な要素です。良いレビューをもらうためには、良い作品を残すしかありません。
たくさん書いて、たくさん出版して、読者を獲得しましょう。

人前で話すコツは「原稿を書かないこと」

会社員時代は、スタッフやお客様の前で話す仕事が度々ありました。講演の依頼もありましたし、結婚式の主賓の挨拶も何十回とやりましたね。
小説家になって、大勢の前で話すことは幸いありませんが、取材はいくつかありました。

大勢の人前で話すことは大嫌いでしたが、ずっとやっているうちに慣れてしまいましたね。良かれ悪しかれ、大抵のことに人は順応しちゃうんです。上手いかどうかは別にして。

最初はもっと下手くそでした。一番ひどかったのは、最初の講演です。六本木ヒルズの49Fにある巨大ホールで何百名ものお客様の前で業務について説明する機会がありました。
大きなイベントだったので、時間内で簡潔に伝えられるように、原稿を作って一字一句暗記しました。
これが、まずかったです。原稿を覚えると安心できそうですが、棒読みの感じになってしまい説得力がありません。つい早口にもなってしまいます。
一番悪いのは、原稿を途中で忘れてしまうと、言葉に詰まってしまうことです。暗記していると、途中の語句を忘れてしまうと、次の語句が出てこなくなるのです。
その講演は大失敗に終わりました。

そこから学んだのは、「原稿を用意しない」ということです。原稿を用意しないことで、オーディエンスを向いて語りかけることができるようになります。

原稿がないと何を話したら良いかわからずパニックになりそうですが、原稿の代わりに「箇条書きのメモ」を用意するようにしています。
話す内容を箇条書きに記して、そのメモだけを覚えるのです。メモだけなら簡単い覚えられますし、たとえひとつ忘れても次の話題に移れば良いのです。
メモにあるキーワードに沿った話をその場で作ってオーディエンスに語りかけることができます。

人間の脳というのは不思議なもので、箇条書きのメモを覚えておくと、そのキーワードをもとに話す事柄を無意識に考えてくれるようです。

人前で話す機会があれば、「箇条書きのメモを用意する」を試してみてください。 

僕の家には本がなかった

僕が生まれた家には本が一冊もありませんでした。新聞とカレンダーはありましたが、僕が生まれる前に本を読む家族は誰ひとりいませんでした。

僕が生まれてから、もらってきたお古の絵本は増えましたが、新しく本を買ってもらった記憶はほとんどありません。

まあ、家にお金がなかったんですね。クリスマスにサンタさんから缶ジュース(しかも250mlの細い缶)をもらったことがあるくらいですから。
と言っても、昔のことなんで、お金がない家は近所にたくさんありました。家に本がなかったのは、家族に本を読む習慣がなかったからです。

それなのに、自分がどうして本を読むようになったのか。学校の図書室で本を借りて読んだ記憶があります。サトウハチローさんの「あべこべ物語」を読んで面白かったのを覚えています。

自宅に本がないのが普通だと思っていたのですが、小説家になった人のエピソードを読むと、親が学校の先生だったとか、小さい頃から本に囲まれて育ったとか、自分の境遇との違いに愕然としました。
本がない家に育って、よく小説が好きになったなと思います。

別に貧乏自慢したいわけじゃなく、言いたいのは環境の差が絶対ではないということです。自宅に本がなくても、なにかのきっかけで本を読むようになったり、なにかのきっかけで小説を書くようになったりするわけです。

なにがきっかけになるかわからないので、子供にはできるだけたくさんの「きっかけ」のネタを提供したいと思っています。

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受賞作ゼロの新人賞を責められない

某新人賞で受賞作がゼロと発表したことが物議を醸していました。
僕も小説の新人賞にずっと投稿し続けていたので、落選した新人賞が該当者なしだと残念に思う気持ちはとてもよくわかります。
ただ、新人賞を運営している出版社の方々には頭が上がりません。

小説の新人賞の多くは無料で参加できます。ちょっと前は、文芸誌についている応募券がないと参加できない新人賞もありましたが、Web投稿が全盛になり、ほとんど廃れてしまいましたし、雑誌も数百円なので、大したコストではありません。
比較するのが正しいかわかりませんが、誰でも参加できる漫才コンテスト「M-1グランプリ」の参加費は2,000円です。

当座の売上が発生しないのに、新人賞を運営する出版社はかなりの費用を負担しています。規模にもよりますが、ひとつの賞に千作品単位の応募があります。
投稿作品を下読みか出版社内部で分担して読み、出版社は選考します。1作を読むのに1時間、時給2000円で計算しても、1000作品の応募があれば、一次選考のコストは200万円です。これに賞金や二次選考以降の費用もかかるわけで、1000万円近い費用をかけている賞も多いのでは(あくまでも想像です)。

「該当作品なし」なら、掛けたコストを回収することができなくなります。
例え、受賞作品が書籍化されても、コストがすぐに回収できるほど売れるとも限りません。

ビジネスの観点で見ると、新人賞がかなりリスキーだということがわかります。
おそらく、将来の作家を育てる投資だと考えて使命感をもって出版社を新人賞を運営しているのだと思います。

だから、出版社が「該当作なし」と発表することを責められません(しっかり選考している出版社ならば、ですが)。
過去の下積みがあるかどうか関係なく、受賞すればデビューできる可能性が高い新人賞という仕組みは、出版業界の善意が溢れている仕組みだと思いますよ。

マッサージと小説

キーボードの打ちすぎで肩こりがひどくなるとマッサージを受けるようにしています。
マッサージを受ける第一の効果はもちろん体が軽くなることですが、僕の場合、小説の執筆にも重要な効果があります。

それは情報を遮断できる効果です。マッサージを受けている60分ないし90分の間は、スマホを見ることも本を読むこともできません(当たり前ですが)。
その間は、どんな情報も入ってこないので、小説のことを考え続けられます。

以前書いたランニングと同じ効果ですね。ただ、ランニングの場合は、音楽やオーディオブックを聴くことができるし、街の風景も刺激になります。何より走っていると呼吸が激しくなり、深く考えることが難しいです(良いアイディアがふと思いつくことはありますが)。

その点、マッサージはタオルで視界が塞がれているので、外部からの情報は遮断され、思考に没入することができます。
マッサージを受ける直前まで、僕は執筆するようにしています。そうすることで、執筆モードのまま、思索にふけることができるので、マッサージ中にその小説の続きや矛盾点の解消法が自然と浮かんできます。

ここまで読んだ方で、「そんなに集中したいなら、わざわざマッサージを受けなくても自宅でやったら良くね?」と思う人もいるでしょうが、僕のか弱き集中力では、ただ考えるためだけに長く座っていることができず、つい他のことを始めてしまいます。
自宅で横になって考えていると、幸か不幸か寝つきが良すぎて、気がついたら朝になっていることもしばしば。

マッサージ中にも寝てしまうことはあるのですが、施術を受けているから刺激により途中で目が覚めます。目覚めたときに、今まで考えていたことが結実し、良いアイディアができていることが多いです。
寝ているようで、思考は止まっていないようです、まるで小人の靴屋のような話ですが。

唯一の欠点は、たまにおしゃべりなマッサージ師にあたることです。話しかけられると、どうしても思考が削がれてしまいます。
だから、施術中はあまり話しかけてこないマッサージ師の方を指名するようにしています。

集中力弱の方は試してみてください。

 

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酒もタバコもやらない人生

昔、会社の上司に連れて行かれたスナックで、「酒もタバコもやらないの? つまらない人生だね」と言われたことがあります。
僕は生涯でタバコを一本も吸ったことがありません。もともと某漫画の影響で味覚を保護したいから吸わないと子供の頃に決めたのですが、小説を書くと決めてからは、他のことに時間を取られたくないから自分の思いを続けてきました。

お酒を呑まないのは、遺伝的にアルコールに弱いのもありますが、小説に時間を遣いたいというのが理由でもあります。
若い頃に「どうしてお酒を呑まないの?」と訊かれると、「これ以上、自分の人生をややこしくしたくないから」と答えたのを覚えています。今考えると、ちょっとヤバめの若者ですよね。

でも、まあ、その頃の思いはあまり変わっておらず、人生も時間も有限である以上、時間の配分が将来を決めると今でも思っています。
タバコを吸えば喫煙場で会話が広がるし、お酒を呑めば飲みニケーションの機会も増えて、小説に役立つと思うこともあります。
ただ、結局、人生は何かを捨てないと何かを得られないので、自分は小説の執筆を取るために、酒とタバコを取りませんでした。

僕のやり方が正しいと言うつもりは全くありません。タバコでリラックスをして、集中できる人もいるでしょうし、お酒で悩みが吹き飛ぶ人もいるでしょう。
人によって取捨選択は異なるので、どれが正解かなんてわかりませんし、そもそも正解なんてないのかもしれません。

僕が確実にひとつ良かったと思えるのは、タバコとお酒で健康を害する心配がないということですかね。

小説家デビューから一ヶ月が経ちました。これまでに学んだことなど

デビュー一ヶ月!

ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」が発売されて一ヶ月が経ちました。その間、多くの方にご購入いただき、誠にありがとうございます。
子供の頃からの夢だった自分の小説が書店に並ぶ光景にも見慣れた一方で、デビュー前にはわからなかった多くのことをこの一ヶ月で学んだ気がします。
商業小説家になって経験し、学んだことをご報告します。

新聞社の取材

新聞社の取材を受けました。会社員時代に雑誌や新聞社から何度か取材を受けたことはありますが、小説家としては初めてでした。
文芸欄の記者による取材ではないので、小説の内容というよりは、著者である僕自身がメインの記事になりました。
会社員時代は、会社の方針や業績を語ることが多かったので、自分のことを記者に話すのに違和感がありましたが、自分の人生をノンフィクション形式に話すことができたように思います。

本当は小説に興味を持ってもらうのが一番なのですが、作者をまず知ってもらって、著作にも興味をもってもらえればと思い、取材をお受けしました。

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noteを一ヶ月連続更新

このnoteを一ヶ月間、毎日更新しました。これは、発売前から決めていたことで、少しでも著者と著作に興味を持ってもらおうと始めたことです。知らない作者の小説を買おうとはなかなか思ってもらえませんからね。
著作が増えていけば、過去の本が名刺がわりになると思いますが、デビューしたばかりだと、そうはいきません。
無名の新人小説家の本を手に取ってもらうために、少しでも作者を知って信頼してもらえればと思い、小説関連の記事をnoteに連載してきました。
記事にすることで、自分が小説について考えていたことを書きながらまとめることができたように思います。

書店マーケティング

デビュー前も、書店は大好きな場所で毎日のように通っていましたが、自分の本が並んだ店頭はまったくちがうものに見えてきました。
書店がどのように本を売っているか、あまり考えたことはありませんでしたが、自分の本が置かれている売り場を眺めていると、どうして書店がここにこの本を置くのか、どういう意図で売り場を構築しているのか、中小書店と大型書店の違い、出版社別の販売戦略、広告など、今まで本が並んでいるだけに見えていた書店の売り場がマーケティングの最前線に思えてきました。

たくさん並んでいる本の中で無名の新人小説家の本を選んでもらうことがいかに難しいかも実感しました。何も情報をもたないお客様が書店を訪れて、知らない作者名の本を選ぶのはなかなかレアなことです。
本来、こういうことは小説家が考えなくてもよいかもしれませんが、会社員時代が長かったからか、「売れるためにはどうすればよいか」をつい考えてしまいます。

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表紙は大事

書店で自著を眺めていて、わかったことは、表紙の重要性です。
僕はずっとKindleでセルフ出版してきて、表紙は自分で撮影した写真をCanvaで加工して、作成してきました。
電子書籍が主体のKindleでは小説の中身が重要だと考え、表紙はあまり重要視してきませんでした。
読み放題のKindle unlimitedの場合、読者は好きな本をお試しで気軽に読むことができるので、冒頭の文章が大事だと考え、読者が入り込みやすい内容にし、読者の興味を惹くイベントがすぐに発生するように工夫してきました。

だけど、商業出版では、事情が異なります。読者はまず表紙や帯を見て、興味があれば本を手に取り、数ページを立ち読みして、買うかどうか判断します。
本の中身は、もちろん大事ですが、手に取ってもらうために表紙はとても大きなファクターです。

イラストレーター周憂さんに描いていただいた「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」の表紙はとても美しく、書店でもかなり目立っています。アイキャッチとしては大成功だと思います。

表紙にはアイキャッチの他にもうひとつの役割があります。それは、本の中身を伝える役割です。
小説は読まないと中身がわかりませんし、読むのには時間がかかります。この小説のジャンル、小説の雰囲気を表紙が伝えてくれます。

ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」の表紙を見ると、男女の高校生が並んでいるので、(おそらく)恋愛ものだとわかります。
タイトルに「ふたりの余命」とあり、帯には「号泣」とあるので、短い命が関係する感動ものだということも伝わってきます。
実際に「ふたりの余命」は男女高校生が主人公ですので、表紙のイメージと合致しています。
物語の冒頭では、帯に書かれている通りに死神が登場し、この小説が「ファンタジー」でもあることが明かされ、物語はライト文芸っぽい雰囲気を醸し出します。
だけど、読み進めると、主人公の夢に関係する大人の男性が登場してきて、いわゆるライト文芸とは趣が少々異なってきます。過去の名作も頻出してきます。
文体もライト文芸よりは、少し硬いかもしれません。

ライト文芸にしては硬い文体と内容が、装丁から読者が受け取るイメージと少し異なっているかもしれません。
これは、装丁の問題ではなく、小説全体のトーンを合わせていない僕の問題です。「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」は、Kidnleで好評だった「ふたりの余命」を追記、改稿した小説です。
Kindleだと最初に読んでもらうために軽い話にするのが定石でしたが、書籍だと装丁を含めて一つの商品なので、小説の中身も含めて同じイメージを読者に伝える必要があると知りました。

面白いのは、書籍版では、中年男性が登場してから話が面白くなってきたという感想を多くいただいたことです。
Kindle版ではそのような感想は少なく、短い余命を持つふたりの生き方に感動したという感想が多かったです。
これは書籍とKindleの読者層の違いもあるのだと思います。ライトノベル以外だと、書店で本を購入する層は年配の人が多いような気がします。
商業出版としてラノベ以外の本を売っていきたいなら、今まで以上に読者層を意識する必要があると思いました。

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次に向けて

デビューして一ヶ月で、多くの学びがありました。この経験は、商業デビューしなかったからわからなかったことばかりです。
ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」は、面白く、感動できる物語です。
装丁も内容も自信をもって薦めることができる本です。ぜひ手に取って読んでもらいたいです。

今後も、商業出版の世界で、より多くの読者に本を手に取ってもらうためには、Kindle作家だった僕は、今までの意識を変える必要があることを知りました。

発売から一ヶ月が経つと、その作品のために作者にできることはほとんどないように思えます。
これから作者にできることは、次回作を早く書いて読者に届けることでしょう。
最初の出版で得た学びを活かして、書籍向けの小説を書いていこうと思います。

リアリティ・ラインは読者との共犯関係

映画を観て気になったこと

先日、ある映画を鑑賞しました。全体的には面白かったけど、観ていながらずっとあることが気になっていました。
ネタバレになるので、詳しくは言えないけど、物語のキーになるものの存在意義が最後までわからなかったのです。
「えっ? XXすればいいんじゃない?」という疑問がラストまで消えませんでした。ミステリー小説だと、そういう違和感が最後で解消されてスッキリする作品が多いですが、この映画では、最後までその疑問は残り続けました。

その疑問(矛盾と言っても良いかもしれない)があったからって、この映画が駄作と言いたいわけではありません。
映画がフィクションである以上、現実では起こり得ないことがあるのは当然です。
現実では、宇宙人は侵略してこないし、タイムスリップしてきた人もいません。密室殺人や大量殺人が起こることはほとんどないです。
現実の人間はたくさんの人と関係し、毎日仕事や趣味に時間を費やしているけど、小説や映画の限られたボリュームでは切り捨てられる人間関係や描写がたくさんあります。
フィクションを現実に照らして「ここが違う」と文句を言うのは不毛なことです。

リアリティ・ライン

ただ、物語に没入するためには、リアリティ・ラインが重要になってきます。
リアリティ・ラインとは、「この物語なら、こういうことが起きても納得できるもの」だと思います。
リアリティ・ラインは、物語によって異なります。本格ミステリーなら、密室殺人は起きても納得できますが、突然現れた宇宙人が犯人だと読者は納得しないでしょう。SFなら宇宙人が登場しても読者は納得できます。

今回観た映画は、本格的な戦争ものでした。現実には起こり得ない戦争ではありますが、それはフィクションなので許容はできます。ただ、リアリティ・ラインが高い物語なのに、実際の戦闘では絶対に起こり得ないことが発生して、それが物語の核になっているので、気になったわけです。
別に僕はミリタリー・オタクではないのに、一瞥しただけで「おかしい」と感じてしまいました。
物語のコアなことだったので、一度おかしいと思ってしまうと、物語に没入できなくなってしまい、そうなると他のアラもたくさん目についてきてしまいました。

リアリティ・ラインとは、作者と読者の共犯関係だと思います。「これはこういう話だから、こういうことが起きてもOK」と両者が納得しながら進むのが良い物語だと思います。
なかなか難しいのですが、僕が小説を書くのに気をつけているのは、「おかしなことは冒頭に見せる」ということです。
冒頭は読者の集中力がまだ健在なので、多少現実離れしたことでも読者は理解してくれます。宇宙人が登場するなら冒頭がベストだし、少なくてもこの後宇宙人が登場することを匂わせるべきです。
たとえば「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」では、死神が登場しますが、現実世界では死神にお会いした人はいないでしょう。だから、物語のできるだけ冒頭で死神を登場させて「この物語は死神が出てくるリアリティ・ラインですよ」と読者に教えるようにしています。
適切なリアリティ・ラインを構築するためには、読者視点を持ちながら小説を書くことが大事だと思っています。
作者が独りよがりに書いてしまうと、読者が置いてきぼりになってしまうので、冒頭で提示したリアリティ・ラインをはみ出さないように気をつけながら、「こんな話おかしくね?」という読者視点を持ち続けて書くようにしています。

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